新渡戸稲造
新渡戸 稲造(にとべ いなぞう、文久2年8月8日(1862年9月1日) - 1933年10月15日)は、農学者、教育者。国際連盟事務次長も務め、
著書 Bushido: The Soul of Japan(『武士道』)は、流麗な英文で書かれ、名著と言われている。日本銀行券のD五千円券の肖像と
しても知られる。
概要
岩手県の旧盛岡藩士族の出身。札幌農学校(現在の北海道大学)の二期生として、同期の宗教家・内村鑑三、植物学者・宮部金吾ら
と共に、「イエスを信ずるものの誓約」に署名し、事実上キリスト教の洗礼を受けた。東京帝国大学進学後、「太平洋のかけ橋」
になりたいとアメリカに留学、ジョンズ・ホプキンス大学で学ぶとともに、クェーカー教の教会に通い、ここで後に妻となる
メリー・エルキントンと出会った。
その後、ドイツのボン大学への留学を経て、札幌農学校助教授として帰国。この間、新渡戸の最初の著作『日米通交史』が
ジョン・ホプキンス大学から出版。だが、札幌時代に夫婦とも体調を崩し、カリフォルニアで転地療養。この間に、名著『武士道』
を英文で書きあげた。ちょうど日清戦争で日本が勝利した直後で、日本および日本人に対する関心が高く、世界各国語に訳され
ベストセラーとなった。
1920年の国際連盟設立に伴い、一高校長、東大教授などを歴任し、『武士道』の著者として国際的に高名な新渡戸が事務次長に選ばれる。
バルト海のオーランド島帰属問題などに尽力した。 敬虔なキリスト教徒(クエーカー)として知られ、一高の教職にある時、
自分の学生達に札幌農学校の同期生内村鑑三の聖書研究会を紹介したエピソードもある。その時のメンバーから矢内原忠雄、藤井武、
塚本虎二などの著名な教育者、聖書学者が輩出した。
晩年は、日本が国際連盟を脱退し軍国思想が高まる中「我が国を滅ぼすものは共産党と軍閥である」と新聞紙上で述べ、
軍部や右翼の激しい反発を買い、多くの友人や弟子たちも去る。一方、日米戦争を回避するためにアメリカに渡り、日本の立場を
訴えるが「新渡戸は軍部の代弁に来たのか」とアメリカの友人からも理解されず、失意の日々だった。
経歴
1862年 盛岡藩(現在の岩手県盛岡市)の奥御勘定奉行の三男として生まれる。
1873年 東京外国語学校(大学予備門)に入学。
1877年 札幌農学校に第二期生として入学。
1882年 農商務省御用掛となり、11月札幌農学校予科教授。
1884年 渡米して米ジョンズ・ホプキンス大学に入学。
1887年 独ボン大学で農政、農業経済学を研究。
1889年 ジョンズ・ホプキンス大学より名誉文学士号授与。
1891年 米国人メリー・エルキントンと結婚。帰国し、札幌農学校教授となる。
1894年 札幌に遠友夜学校を設立。
1897年 札幌農学校を退官し、群馬県で静養中『農業本論』を出版。
1900年 英文『武士道』(BUSHIDO THE SOUL of JAPAN)初版出版。ヨーロッパ視察。パリ万国博覧会の審査員を務める。
1901年 台湾総督府民政部殖産局長就任。
1903年 京都帝国大学法科大学教授を兼ねる。
1906年 第一高等学校長に就任。東京帝国大学農学部教授兼任。
1916年 東京貿易殖民学校長に就任。
1918年 東京女子大学学長に就任。
1920年 国際連盟事務次長に就任。
1926年 国際連盟事務次長を退任。貴族院議員に。
1933年 カナダ・バンフにて開催の第5回太平洋会議に出席。ビクトリア市にて客死。
代表的な著書
武士道
農業本論
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