”鰊御殿”
今から400年程前の江戸時代初期に置かれた松前藩の財政基盤は未墾地で米も取れないため弱く、漁場開拓と振興に力を入れ、鰊や鮭、 昆布、あわび、なまこ等の豊富な海産物を本州に移出し、本州から米、味噌、酒、衣類等、様々な生活物資を移入して藩の体制を保つまで になった。漁場は年を追って広がり江戸後期には、その中心を寿都、岩内、泊、積丹半島、忍路、ここ高島へと拡大していった。 その後、藩の家臣達は商人に漁場を請け負わせ税金を取り立てた。漁業は益々発展し、次第に規模も大型化し、漁獲高を飛躍的に高めた。 鰊漁を営むためには、多くの労働力を必要とし、網元の中には漁が始まる3月には200人以上の漁夫を集める者も現れ、漁夫の宿舎を 兼ねた網元の家は大型化し、豪放さの中にも繊細な建築美を兼ね備えた家を鰊御殿と呼ぶようになった。この建物は西積丹の古宇郡泊村 に建てられていたもので、昭和33年(1958)に創立70周年を迎えた北海道炭鉱汽船株式会社が、現在地に移築したものである。